神経科学で活躍するサル

6 狭鼻猿類

前節では、メガネザルをのぞく直鼻猿類のうち、 新世界(中南米)に住む広鼻猿類の仲間を紹介した。 本節では、直鼻猿類のもうひとつの大枝である狭鼻猿類の系統を紹介する。 広鼻猿類とおなじく、 狭鼻猿類も非常におおくの種を含む複雑な系統分岐をもった生物群である。 また狭鼻猿類には人里に近い山林部などに住むものもおり、 密林に住む種や夜行種よりもヒトとの接触や観察の機会がおおい。 そうしたサルたちは、古くからの人間文明との接触のなかで、 さまざまな慣習的な呼称や総称を与えられてきた。 このような俗称は必ずしも進化的な系統関係と一貫しないため、 系統分類においては、 名称と系統関係との不一致が混乱のもととなる場合もある。 本節では、この入り組んだ狭鼻猿類の系統について、 その特徴と近縁関係をひとつずっつ追っていくことにしよう。

6.1 旧世界ザル

狭鼻猿類は広鼻猿類とおなじく、 階層分類においては狭鼻猿下目 Catarrhini という下目のレベルをなす。 狭鼻猿類はヒトや類人猿を含む大きな系統群で、 われわれに馴染みの深いニホンザルや、 比較的名の知れたマントヒヒやマンドリルといったサルたちもここに含まれる。 地球全土にひろく分散したヒトの系統をのぞけば、 狭鼻猿類はアフリカおよびユーラシアに生息するため、 旧世界ザル Old World monkeyとも呼ばれる。

狭鼻猿類は、いわゆる類人猿の系統であるヒト上科 Hominoideaと、 サルの系統である オナガザル上科 Cercopithecoideaにわかれる。 ヒト上科には、テナガザル・オランウータン・ゴリラ・チンパンジー・ヒトが含まれる。 これらの類人猿が上科のレベルのまとまりであるため、 姉妹群たるサルの系統も、階層分類のうえでは上科として扱う。 しかし実態としては、オナガザル上科は一科のみで構成される。 そのためサルについてだけを議論の対象とする場合、 わざわざ上科として扱わず、 オナガザル科 Cercopithecidaeとするほうが一般的である。 オナガザル科はさらにコロブス亜科とオナガザル亜科に二分される。 このように「オナガザル」ということばは、 類人猿をのぞく狭鼻猿類全体(=オナガザル科)と、 そのなかの部分集合(=オナガザル亜科)とどちらを指す場合にもつかわれるので、 「オナガザルの仲間」といった混乱を招く表現は控えるべきである。

ちなみにサルと類人猿の違いについての部分でも触れたとおり、 一般語としてのmonkeyには通常ヒトや類人猿を含まない。 そのため旧世界「ザル」という表現をした場合、 単なる狭鼻猿類の同義語という以外に、 ヒトを含む類人猿をのぞいた狭鼻猿類、 すなわちオナガザル科のみのことを指している場合もある。

6.2 コロブス亜科

コロブス亜科 Colobinaeは、 東南アジアからアフリカまでのひろい範囲に分布する、 オナガザル科のなかの二大系統のひとつである。 コロブス亜科には、コロブス・ルトン・ラングールといったサルたちや、 金色の毛並みが美しいキンシコウ、 非常に奇妙な外見のテングザルなど、 さまざまな特徴をもった種が含まれる。 しかしこれらの種間の系統関係に関する研究は不足しており、 それぞれの種をどの属に分類するかや、 属同士がどのような近縁関係にあるかについては、いまなお議論が尽きない。 そこで本項では、コロブス亜科に存在するいくつかの代表的な属を、 そこに属するサルたちの特徴をとりあげつつ簡単に解説していこうとおもう。

コロブス亜科を代表する仲間としては、その系統名として冠された コロブス属 Colobusがあげられる。 コロブス属はProcolobus属や Piliocolobus属といったいくつかの属にわけられることが多いが、 その分類には研究者間で食い違いがある。 コロブス属とその近縁種は、 からだの各部が何色かの異なる色の体毛でわけられているものがおおい。 通例としては、 アビシニアコロブスやアンゴラコロブスのような黒ベースに白の飾り毛をもつものをコロブス属とし、 それ以外の毛色をもつアカコロブスやオリーブコロブスなどを別属とすることがおおいようだ。 アビシニアコロブスのマント状の白い毛は非常に美しく、 日本でも各地の動物園でみることができる(Figure 26)。

Figure  26: アビシニアコロブス

モノクロームの毛並みが美しい。

一方アカコロブスなどは人工繁殖が難しく、 これらの種は野生でしかみることができない。 ちなみに、アフリカ大陸にひろく分布するアカコロブスは、 同地域に生息するチンパンジーによる狩猟・捕食の主たる犠牲者となっていることでも知られている。

コロブス亜科にはルトン lutungと呼ばれるサルの仲間もいる。 ルトンはTrachypithecus属に属するが、 日本語の属名は確立していないようだ。 ルトンとはインドネシアの現地語で「黒」を意味するそうで、 その名のとおりルトンと名のつくサルには黒や灰色のものがおおい。 ただしこの仲間には、シルバールトンやフランソワルトンにみられるように、 生後数ヶ月のあいだだけ鮮やかな橙色や金色の体毛をもつものがいる。 なぜ自分で身を守ることのできない幼若個体だけがわざわざ目立つ外見をもつのかは、 よくわかっていない。

ルトンと近縁のサルたちには、ラングール langurという呼び名もある。 ラングールという呼称はコロブス亜科のサルに与えられる一般名のようなものらしい。 たとえば先のルトン類が属するTrachypithecus属にも、 カオムラサキラングールなどのラングールの名をもつものがいる。 また前出のシルバールトンは、別名シルバーラングールとも呼ばれる。 一方でTrachypithecus属以外のおおくのサルたちも、 ラングールの名前をもつ。 このような系統関係と一致しないばらばらの名称は、 生物分類の観点からは少々混乱をまねく現状を生んでいる。 ラングールのなかでもっともよく知られているのは ハヌマンラングールだろう(Figure 27)。

Figure  27: ハヌマンラングール

ほっそりとした体躯と険しい表情が哲学者然として格好いい。

ハヌマンラングールはSemnopithecus属に分類される。 「ハヌマン」の名は、現地インドのラーマーヤナ神話に登場するハヌマーン (猿に類似した容姿をもった種族の登場人物)からとられたもので、 ハヌマンラングールはハヌマーンの眷属だと信じられている。 たしかに彼らの哲学者然とした風貌は、神の遣いの名に恥じない。 しかし一方で、少数のオスと多数のメスからなるハーレムを形成するハヌマンラングールは、 はぐれオスによる群ののっとりと、 前オスの子どもの殺害(子殺し)が確認された初めてのサルとしても有名だ。

コロブスの仲間のうち、ベトナムを中心とする東南アジアの地域に住む一部の種は ドゥク doucトゥク)と呼ばれる。 ドゥクというのは「サル」を意味するベトナム語で、 その名をもつのは、当然ベトナム語圏に生息する限られた数種のサルのみである。 ドゥク類はすべてPygathrix属に分類される。 代表的な種であるアカアシドゥクラングールは、 切れ長な瞳と繊細な毛並みをもつ容姿端麗なサルだ(Figure 28)。

Figure  28: アカアシドゥクラングール

気品の漂うアカアシドゥクラングール。 日本ではよこはま動物園ズーラシアで飼育・繁殖されており、 筆者もいつかみにいきたいと思っている。 [ウィキメディア・プロジェクトより転載(CC BY 2.0 by Art G.)]

名前のとおり、ひざから下の脚先(および顔まわり)は赤毛におおわれ、 白および茶褐色の他の部位とのコントラストが美しい。 しかしこうしたドゥクの仲間は、 ベトナム戦争における枯葉剤の使用により直接および間接的に大きな被害を受け、 絶滅に瀕した危機的状態にある。 もともとの生息環境以外に生きる術をもたない野生生物は、 人間の愚行の代償を諸に受けてしまうということを示す心苦しい例だ。

さて、ここまで紹介してきたコロブス亜科のサルは、 おおよそスラッとした痩せ型の体格で、細長い手足が印象的なものがおおい。 しかしコロブスの仲間には、それとはまた違った外見のものもいる。 たとえば中国内陸部にのみ生息するキンシコウは、 どちらかといえばずんぐりとした体格だ。 上につぶれたような特徴的な鼻をもつ彼らは、 英語ではsnub-nosed monkeyと呼ばれ シシバナザル属 Rhinopithecusに分類されるが、 正確な系統関係はいまだわかっていない。 また東南アジアのマングローブ林に住むテングザルは、 太鼓腹というべき膨れたお腹が特徴である。 名前の由来はやはり特徴的な鼻の形態で、 オスの成獣の鼻はまさに天狗のように長く垂れる(Figure 29)。

Figure  29: テングザルの剥製

天狗としかいいようのない奇妙な外見をもつテングザル。 これほどの鼻の肥大化はメスではみられないため、 一種の性的ディスプレイと考えられているが、 その確かな役割はわかっていない。

テングザルは一種でテングザル属 Nasalisを構成する。

このようにコロブス亜科には、 さまざまな特徴をもった多様な種が混在している。 しかしそれらのなかには絶滅の危機に瀕したものもあり、 詳しい系統関係の研究は残念ながら不足している。 これらの種間に共通した特徴として、 おおくの種が木々の果実や種子だけでなく、 葉っぱを食べる葉食性であることがあげられる。 そのためコロブス亜科のサルたちは、 葉を消化するための長くてくびれた独特な胃をもち、 そのなかにセルロースを分解することのできる嫌気性細菌を共生させている。 こうした食性上の特徴から、一部のコロブス類は リーフモンキー leaf monkeyとも称される。 また、コロブス亜科のおおくの系統では、 手の親指が退化してほとんど突起程度になっている。 この前肢親指の退化は先に説明したクモザル属の特徴と同様のもので、 枝から枝へとすばやく跳びまわるための収斂進化の結果と考えられている1414 ちなみに「コロブス」の名は、ギリシャ語で「欠落した・ちぎれた」という意味の κoλoβo´ςに由来し、 この親指の特徴を表わしたものである。 。 体重は成体で10kg前後と、霊長類としては中型の種がおおく、 次に紹介するオナガザル亜科のサルたちとおよそ同程度の大きさといえるだろう。

6.3 オナガザル亜科

オナガザル亜科 Cercopithecinaeは、 コロブス亜科と対をなすオナガザル科のなかのもうひとつの系統である。 オナガザル亜科には、われわれにもっとも馴染み深いサルであるニホンザルや、 おおくの子どもが図鑑などで目にして知っているであろうマントヒヒ、 独特の顔の模様が鮮やかなマンドリルなどの仲間が含まれる。

オナガザル亜科に属するサルのなかでは、日本人としてやはり マカカ属 Macacaマカク属) を最初に紹介せざるを得まい。 マカカ属のサルのことを、マカク macaqueという。 マカカ属には、ニホンザルやアカゲザルなど、 わたしたちが「サル」といわれて真っ先におもいうかべるであろう「サルらしいサル」が含まれる。 マカカ属は、人為的に移入されたものが野生化したジブラルタルのバーバリーマカクをのぞくと、 日本・東南アジアからインドにかけてのユーラシア大陸南部に生息する。 日本の固有種であるニホンザル Japanese macaqueM. fuscata)、 台湾固有種のタイワンザル Formosan rock macaqueM. cyclopis)、 東南アジアに生息するカニクイザル crab-eating macaqueM. fascicularis)、 中国南部からインドにかけてひろく分布する アカゲザル rhesus macaqueM. mulatta)などは、 どれも互いによく似ている。 マカカ属にはこれら以外にも、 味のある表情と鮮やかな赤ら顔が特徴的なベニガオザル、 ライオンのようなたてがみと尾の房が特徴のシシオザルなど、 ニホンザルとは外見上やや異なるものも存在する(Figure 30)。

Figure  30: オナガザル亜科ヒヒ族マカク属の仲間

左: ブタオザル 中: ベニガオザル 右: シシオザル

いずれも5–10kg程度と霊長類のなかでは中型で、 果実や植物を中心とする雑食性のものがおおい。 基本的には樹上性であるが、 あまり木から降りることのないコロブス亜科のサルなどと比べると、 地上に降りて索餌を行なうことも比較的おおい。

マカカ属の近縁には、 ヒヒ・ゲラダヒヒ・マンドリルなどのヒヒの仲間がいる(Figure 31)。

Figure  31: オナガザル亜科ヒヒ族ヒヒ・マンドリルの仲間

左: アヌビスヒヒ 中: ドリル 右: マンドリル

マントヒヒやギニアヒヒといったいわゆる「プレーン」なヒヒは、 ヒヒ属 Papioに属する1515 ちなみに「ヒヒ」の名称は、 大型のサルのような狒々(ひひ)という妖怪に由来する。 一方でヒヒ属には、 狗頭のエジプト神アヌビスにちなんだアヌビスヒヒという名の種が存在する。 中国とエジプトの伝説上の存在の名をハイブリッドするとは、 なかなか節操のない名前である。 。 それに対し、胸に三角形の無毛部をもつゲラダヒヒは、 それ1種のみでゲラダヒヒ属 Theropithecusを構成する。 またカラフルな顔の模様が特徴のマンドリルは マンドリル属 Mandrillusに分類される。 これらヒヒの近縁種はアフリカ南部のひろい範囲に分布する。 彼らのおおくは開けたサバンナや岩場などに住み、 前述のマカク類よりさらに地上性が高くなっている。 体重としては成体で10–20kg程度と、マカカ属よりも全体にかなり大きい。 このようなからだの大きさや鼻筋の通った厳つい顔つきからか、世間一般には、 ヒヒ類に対してゴリラの仲間とみなすような風潮が見受けられる(Figure 32)。

Figure  32: ゴリラと混同されるヒヒの仲間

任天堂の『どうぶつの森』シリーズには、 明らかにマンドリルをモチーフとした「ゴリラ型」住民が登場する。

たしかにニホンザルなどと比べればヒヒは数まわりほど大きいが、 それでも成体で200kg超にもなることがあるゴリラとはまったく異なる。 ヒト科に属するゴリラとは、系統的にも亜科のレベルで離れている。 ヒヒの名誉のためにも、ゴリラとの混同などしないよう注意してほしい。

ヒヒ類とおなじアフリカの地域には、 マンガベイと呼ばれる比較的小さなサルも生息している。 ヒヒの仲間と違いマンガベイは樹上性で、 ユーラシア地域におけるマカクとおなじ生態学的な地位を占めている。 マンガベイはかつてマンガベイ属と呼ばれていた Cercocebus属に分類されていたが、 近年ではLophocebus属や Rungwecebus属などいくつかのグループにわけられているようだ。

こうしたマカカ・ヒヒ・マンガベイの仲間たちは、オナガザル亜科のなかで ヒヒ族 Papioniniとしてまとめられることがある(Figure 33)。

Figure  33: ヒヒ族とオナガザル族

オナガザル科はコロブス亜科とオナガザル亜科にわかれ、 さらにオナガザル亜科がヒヒ族とオナガザル族に分岐する。 オナガザル族のなかにはオナガザル属(グエノン類)という属も存在する。

族 tribeとは、動物の階層分類において種間関係が複雑なとき、 科と属のあいだにおかれる中間階層だ1616 なぜか植物の分類では、おなじtribeという語にの訳語をあてる。 。 この場合オナガザル亜科のしたには、ヒヒ族と相対するもうひとつの枝として オナガザル族 Cercopitheciniがおかれる(Figure 34)。

Figure  34: オナガザル亜科オナガザル族の仲間

左: サバンナモンキー 中: クチヒゲグエノン 右: ブラッザグエノン

オナガザル族はヒヒやマンガベイとおなじく、 おもにアフリカ大陸に住んでいるサルたちである。 オナガザル族のうち森の少ないサバンナ地帯に住む種は、 ヒヒの仲間とおなじく地上性が強い。 こうした系統としては サバンナモンキー属 Chlorocebusパタスモンキー属 Erythrocebus があげられる。 パタスモンキー patas monkey は地上での走行に適した長い四肢と短い指をもち、 時速50km程度と霊長類のなかでもっとも速く走ることができる。 またサバンナモンキー属のベルベットモンキー vervet monkeyは、 群れの社会性と警声行動(捕食者の接近に対する仲間への警告の鳴き声) の研究で知られた存在だ。

一方オナガザル族には、 オナガザル属 Cercopithecus のように熱帯雨林やマングローブでの樹上生活を主とするサルたちもいる。 これらの種のうち一部はグエノン guenonと呼ばれ、 鼻や首まわりに鮮やかな毛をもつものがおおい。 ダイアナモンキーやモナモンキーなどはよく知られたグエノンの仲間だ。 ただしこのグエノンという呼称は、現在支持されている系統関係とは必ずしも一貫しない。 「グエノン」の名は「ラングール」などとおなじように、 比較的ひろく使われる通りのよい一般名のようなものと考えられる。 樹上性のこれらのサルたちは、 5kg前後のやや小さめなものがおおいようだ。 現在ではグエノンには含まないが、 おなじ樹上性オナガザル族のタラポワン talapoinは成体でもでも体重が1kg程度しかなく、 コロブス類を含めた旧世界ザル全体で最小の種である。