5 広鼻猿類
本節では、直鼻猿亜目のサルたちのうち、 広鼻猿類と呼ばれる系統に属する仲間を紹介する。 もともとは日本から遠くはなれたアメリカ大陸に住む種ではあるが、 ここまで紹介してきた他の種と比べると、 その容姿はわれわれが慣れ親しんだ「いわゆるサル」に近しいものだ。 しかしその一方で、中南米の熱帯雨林をおもな生息地とする彼らは、 その多様な環境にあわせてさまざまな形質を進化させている。 ここではそれら広鼻猿類のユニークな特徴を紹介していきたい。
5.1 新世界ザル
広鼻猿下目 Platyrrhiniには、 フサオマキザルやクモザルなど、 これまで紹介してきた種よりはいかにもサルらしい風貌のものが多い。 しかしその一方で、おなじく広鼻猿類に属するマーモセットは、 どちらかというと原猿的な特徴をもつ。 そのため以前は、 広鼻猿下目をオマキザル科とマーモセット科という2グループに大別する分類が支持されていた。 しかし近年の研究により、 マーモセット類はみためよりもオマキザル類と近縁なことがわかり、 マーモセットはオマキザル科のなかの一亜科として分類されるようになった。 オマキザル科にはリスザルなどの小柄な広鼻猿類も含まれる。 一方、かつてはオマキザル類と近縁とされたクモザルの仲間は、 現在ではオマキザルとは独立した別科として扱われている。 広鼻猿類にはこれらの系統に加え、ティティやサキ、ヨザルなど、 独特な形質を有する比較的小さな分類群も含まれる。 これらのサルたちを科として扱うか、 オマキザル科やクモザル科のなかの亜科として扱うかは、 文献によりまちまちである。 とりあえず本稿では、広鼻猿下目をオマキザル科・クモザル科・サキ科・ヨザル科の4科に分類し、 それぞれ説明していく。
広鼻猿類の名前は、 左右の鼻孔の間隔が広く開いていることに由来する。 逆に彼らの姉妹群たる狭鼻猿類は、 鼻の孔の間隔が狭く、顔の中央に寄っている。 こうした鼻の構造的特徴は、 知らずに眺めているだけではそこまで印象的ではないかもしれないが、 意識して観察すると比較的はっきりした特徴でわかりやすい。 また広鼻猿類は、新世界ザル New World monkey という非常によく知られた二つ名をもっている。 これは広鼻猿類が、 新世界、すなわちアメリカ大陸に生息していることに基づく呼称だ。 とはいえ霊長類は基本的に高緯度地域には生息せず、 北米には野生霊長類はいない。 よってここでいう新世界とは、 アマゾンの熱帯雨林をはじめとする中南米の地域のことを指している。 それに対してアフリカや東南アジアなどを中心に分布する狭鼻猿類は、 旧世界ザル Old World monkeyと呼ばれる。
5.2 オマキザル科
オマキザル科 Cebidaeは、 おおくの広鼻猿類を含む比較的大きな系統群である(Figure 19)。
全体としては小柄なサルが多く、 そのなかでは大きな部類のフサオマキザルでも3–4kg程度だ。 現在の分類学におけるオマキザル科には、オマキザル・リスザル類に加え、 かつては別科とされていたマーモセット類が亜科として含まれる。 ただしこれらの系統の分類は近年大きく見直されたものであり、 その系統樹内での配置にはいまなお議論がある。 以下では、各系統をどのレベルの分類群とすべきかという末節にはあまりとらわれずに、 それぞれの属に含まれるサルたちを紹介していきたいとおもう。
オマキザル属 Cebusは、 その名のとおりオマキザル科を代表する仲間だ(Figure 19左)。 一般的感覚としての「サルらしいサル」といった外見をもつが、 ニホンザルなどと比べるとやや小さく、成体でも4kgほどである。 外見的にわかりやすい特徴として、 額部分の毛が豊富で、上へ向かって厚く盛り上がっている。 オマキザルの英語名であるcapuchin monkeyの名は、 その頭部がカプチン会(カトリック教会の一派) の修道士のフードのようにみえることに由来している1010 カプチン修道士のフードはよほど印象的なのか、 いろいろなことばの語源になっている。 生命科学関係でいえば、肩から背中にかけて張った僧帽筋も、 その三角形の形態をカプチン僧の僧帽に例えた命名だ。 また理由には諸説あるが、カプチーノもおなじくカプチン僧を語源としている。 。 一方オマキザルという和名は、文字通りくるくると巻いた長い尾を形容したものだ。 オマキザル属には、 フサオマキザルやノドジロオマキザルなどが含まれるが、 毛の色をのぞけばどれも比較的よく似た容姿をしている。 なかでもフサオマキザルは、 ながく動物心理学(比較認知学)の研究対象とされてきた経緯から、 さまざまな認知機能の発達が知られている。 またその賢さから、近年は介助ザルとしての活躍も期待されている。
リスザル属 Saimiriはその名のとおり、 リスのような小柄なからだをもったサルである(Figure 19中)。 その体重は大きくても1kgに満たない程度だが、 あざやかな黄色の体毛は森のなかでもよく目立つ。 体毛は短く、密に全身をおおい、 さながら細毛のたわしのようである。 身体が小さいかわり、百個体を超すような大きな群れをつくることもあり、 個体間では鳴き声による音声コミュニケーションが発達している。 彼らの暮らす森では、 あたり一帯からチーチーという可愛らしい声を聴くことができる。 リスザルはもっともペットとして広まった霊長類だとおもわれる。 たしかに、小さくてすばしこい彼らの挙動はみていて飽きない。 ただオマキザル科に属するリスザルの顔は、 よくみるとフサオマキザルなどとおなじくおでこが突っ張っていて、 ちょっと人相が悪くもみえる。
マーモセット属 Callithrixや タマリン属 Saguinusは、 上述のサルたちとはだいぶ違った外見をもつ(Figure 19右)。 オマキザル類やリスザル類が人型のいわゆるサルらしい体躯をしているのに対し、 マーモセットやタマリンは頭と胴体の境が不明瞭でまるまるしている。 モリゾーやキッコロに尻尾をつけた感じ、 といってわかっていただけるだろうか。 体重としては500g以下程度のものがおおい。 これらの仲間のおおくが、体のどこかにカラフルな毛や長い飾り毛をもっている。 たとえばコモンマーモセットは、耳の部分の白い毛が鮮やかである(Figure 20)。
マーモセットの和名であるキヌザルの名は、 その美しい毛を絹に例えたものらしい。 またタマリン類は、口元にひげのような長い毛を生やしている。 ライオンタマリン属 Leontopithecus のゴールデンライオンタマリンは、 全身が長くて美しい橙色の毛につつまれている1111 ゴールデンライオンタマリンは、 金獅子の名に恥じない美しく鮮やかな毛並みをもつ。 マーモセット類のなかでは最大級の大きさ(成獣で約1kg)になるため、 ペットとして人気が高く、 乱獲により一時は数百個体にまで自然生息数が減少した。 現在は生息地の保護区指定や人工繁殖の成功により、 生息数は回復してきているようだ。 。 マーモセット・タマリン類は果実や昆虫、植物の樹液などを食べる。 とくにマーモセットの仲間は樹液を好むため、 タマリンと比較すると下顎の前歯が細く突き出したような形状となり、 これをつかって木に傷をつけて樹液をなめる。 一般に霊長類は1回の出産で1子を生むが、 マーモセットやタマリンは通常双子を生む点も特徴的だ。
このほか、マーモセットの近縁には、 ゲルディモンキー(ゲルジザル)という独特なサルも存在する。 ゲルディモンキーは1種のみで ゲルディモンキー属 Calloimicoを構成する。 黒い毛におおわれた小さなこのサルは、 オマキザル類とマーモセット類の中間的な形質をもつ。 大きさとしては500g前後とマーモセット類に近いが、 顔つきや頭骨・歯列の形態はどちらかというとオマキザル類に似る。 生態としても、樹上性のマーモセット類と比べると地上近くへもよく降り、 1回の出産でも1子のみを生む。 このような種は系統関係を考察するうえで重要となるが、 他のマーモセット類とおなじく、 近年では開発等による自然生息数の減少が懸念されている。 日本においては、 千葉市動物公園で飼育されていた国内最後の個体が2011年に亡くなり、 残念ながら会うことができなくなってしまった。
5.3 クモザル科
クモザル科 Atelidaeは、 かつてマーモセット類の替わりにオマキザル科に含められていただけあり、 オマキザル同様、やはりサルらしい容姿をもった仲間である。
大きさとしてはオマキザル類よりもひとまわりからふたまわりほど大きく、 5–10kg程度になる種がおおい。 クモザル科のサルは尾の内側が無毛になり、 その部分をつかって尾だけでものをつかむことができるのが特徴だ。 尾の内側の皮膚には尾紋と呼ばれる指紋のような凹凸があり、 これがすべり止めの役割をする。 オマキザル科のサルでも長い尾をものに巻きつける行動はよくみられるが、 クモザル科のサルのように尾だけで物体を把握する力はない。 クモザル科には、大きくわけてクモザル類とホエザル類の2種の系統が存在する。
クモザル属 Atelesのサルは、 細長い手足が印象的なスレンダーなサルだ(Figure 21左)。 クモザル spider monkeyという名前は、 クモを連想させるその長い手足に由来する。 また前述した尾の特徴により、 彼らはしっぽのみで全体重を支えて枝からぶらさがることができるので、 その様子がおしりから糸でぶらさがるクモに似るため、 という説もある。 クモザル属のサルは、前肢の親指が退化してほとんど痕跡的となり、 その結果、手が4本指になっている。 これは親指をつかって枝をつかむのではなく、 手をフックのようにつかい、手全体で枝を巻き込むようにつかむことで、 すばやく枝から枝へと移動するためだと考えられている。 実際クモザルはその長い手足と尾を自在につかって、 高所の枝を自由に渡り歩く。 愛知県犬山市の日本モンキーセンターでは、 ジェフロイクモザル1212 「ジェ̇フロイ」・「ジョ̇フロイ」とカタカナ表記にゆらぎのある本種だが、 もととなったÉtienne Geoffroy Saint-Hilaireの名前の日本語読みは 「ジョフロワ」とされることがおおい。 たちが高所につくられたつり橋からぶら下がってエサをキャッチする様子をみることができる (Figure 22)。
クモザル属には類縁にウーリーモンキー属 Lagothrixや ウーリークモザル属 Brachyteles の仲間がいる(Figure 21中)。 ウーリーモンキーの仲間は短い密な毛でからだがおおわれ、 あたかもモフモフした「たわし」のような外見に特徴がある。 ウーリークモザルに属するムリキ muriquiは広鼻猿類のなかでは最大のサルで、 平均的には10kg弱、成獣ではそれ以上になるものもいるという。 「ムリキ」という響きはいかにも日本語のようだが、 実際には「最大のサル」を意味する現地の原住民の言語に由来した名前である。
クモザル科にはこれらのほかに、 ホエザル属 Alouattaに属するサルたちが含まれる (Figure 21右)。 ホエザルの名は吠えるように大きな鳴き声に由来し、 英語でもhowler monkeyと呼ばれる。 ホエザルはその大きな声を群れ同士のコミュニケーションに用いているらしく、 異なる群れが接触しそうになると、 それぞれのグループから大きな鳴き声があがり互いを牽制しあう。 彼らの大きな発声は、 下顎に存在する共鳴袋で鳴き声を共鳴させることでなされる。 そのためホエザルの仲間は、 舌および発声に関わる筋を支持する舌骨と呼ばれる骨や、 それをつつむ下顎骨自体が非常に大きく発達している(Figure 23)。
5.4 サキ科
サキ科 Pitheciidae のサルたちはどれも非常にユニークな外見的特徴をもつ(Figure 24)。
サキ類を独立の科とするか、オマキザル科などの一部とするかには議論があるが、 本稿ではまとめてここで解説する。
サキ科にはサキ属 Pitheciaと ヒゲサキ属 Chiropotesが含まれるが、 どちらも顔に特徴的なディスプレイをもっている。 サキ属に属するシロガオサキは名前のとおり白い顔が特徴で、 オスのシロガオサキの顔のまわりは、 豊富な白い毛に取り囲まれている(Figure 24左)。 一方ヒゲサキ属のヒゲサキは頭および喉元の毛が非常に豊富で、 マッシュルームカットとあごひげをたくわえたような非常にユーモラスな外見をもつ(Figure 24中)。 ヒゲサキは英語でもblack-bearded sakiと呼ばれる。
一方、これらの属と近縁なウアカリ属 Cacajaoのアカウアカリ1313 ウアカリの名を聞いて背筋がゾクッとしたひとは、おそらくホラー小説好きであろう。 貴志祐介の小説『天使の囀り』に、 アマゾン調査隊のメンバーが経験する恐怖の発端としてウアカリが登場する。 いうまでもないが、当該小説を読んでみるつもりのあるひとは、 ネタバレになってしまうので「ウアカリ 天使の囀り」などで検索してはいけない。 は、頭部の毛が特徴的だったサキやヒゲサキとは逆に、 あたまに毛が生えていないという奇妙な容姿をもっている(Figure 24右)。 ウアカリの仲間は全身が長い毛でおおわれているが、 アカウアカリの顔と頭にはほとんど毛がない。 また白や茶の体毛に対し、頭部は真っ赤に紅潮している。 その姿は、さながら蓑を着込んだ赤ら顔の座頭のようだ。
これらのサキ科の仲間はおおくが2–4kg程度と比較的小型で、 アマゾンの密林の樹上に住んでいる。 そのため開発による絶滅の危機にさらされる一方、 野生での生態は理解の進んでいない部分もおおい。 ちなみにサキやウアカリといった名前は、 クモザル科のムリキと同様、現地の原住民の言語からきている。
5.5 ヨザル科
先述のとおり、いわゆる真猿類の祖先は、 原猿類の系統と分岐した際に昼行性となった。 よってその子孫の直鼻猿亜目のサルたちは、ほとんどが昼行性である。 前節でみたメガネザル類は、そうした進化の流れに逆らい、 再び夜行性へともどった仲間だった。 本項でとりあげるヨザル科 Aotidaeも、 メガネザル類同様に再度夜行性となった系統である。 世の不摂生な大学院生をのぞけば、 夜行性の直鼻猿類はメガネザルとヨザルの2系統のみとなる。
東南アジアに住んでいるメガネザル類と違い、 新世界ザルであるヨザル類はアマゾンの密林で生活している。 その外見はロリスに似て、 小さな耳、ずんぐりとした体躯、体をおおう密に生えた短い毛などが特徴的だ。 ただヨザルはロリスと違って尾が長く、動きも比較的俊敏である(Figure 25)。
またヨザルの仲間は他の夜行性霊長類同様大きな目をもつが、 キツネザルと近縁で鼻先のとがるロリス類と比べると、 直鼻猿類たる彼らの顔面は平らでのっぺりとしている。 そのためヨザルの顔のつくりは、 ここまで紹介してきた新世界ザルのサルらしい顔において、 目だけをPhotoshopで大きくしたような独特なものとなる。 こうした顔の特徴から、 ヨザルはnight monkeyのほかに owl monkey(フクロウのようなサル)の俗称でも呼ばれる。 ちなみにメガネザル類と同じく、ヨザルの目にタペータムはない。
ヨザルの仲間はかつてオマキザル科の一部として分類されていたが、 近年は独立した科とされることがおおい。 ヨザル科にはヨザル属 Aotusのみが存在し、 そのなかで形態や生息域の違いにもとづいて10種前後の種に分岐する。