まとめ
本解説文では、 霊長類の系統分類学の概論と、 それぞれの系統における生態や形態上の特徴を簡単に説明した。 またそれらの種の大脳皮質形態の比較や、 認知神経科学の領域において活躍するマカカ属とマーモセットについても触れた。
本稿でみてきたように、霊長類は高い多様性をもった生物群であり、 それぞれの系統がユニークな特徴を有している。 これは地上・軽森林・密林などの多様な環境において、 旧世界・新世界に分散したそれぞれの系統が独自に適応していった結果だと考えられる。 しかし個別の生息環境に適応した種は、 その環境が失われれば生きていくことができない。 現在、おおくの霊長類が、 開発による生息地の破壊により絶滅の危機に瀕している。 またなかにはペットとしての売買のために乱獲され、 そのせいで個体数の激減した種すらいる。 いずれにしても、人間のエゴのために、 森に生きるサルたちが犠牲になっている。
しかし考えてみれば、 学術研究活動だって結局は人間のエゴである。 脳がどのようにはたらくことで認知機能が達成されているのかなんて、 べつにサルたち自身にとっては興味ないことだろう。 また医学的に重要な研究にしたって、 その恩恵を受けるのは人間であって、 結局はわれわれヒト自身のためのものだ。 だから基礎研究にしろ応用研究にしろ霊長類を対象とした研究は、 ペットとして売るためにサルを乱獲している輩と、 本質的には大きく違わないのかもしれない。
それでもわれわれ人間は、地球に生きる一生命体として、 肉体的にも精神的にもよりよく生きたいと願う。 それは種として当然のことだ。 肉体を維持するために他の生き物を利用するという意味では、 食事をすることも、実験動物を使って医学研究をすることも変わらない。 認知神経科学が心のはたらきを理解することで精神的にも「よりよく生きる」方法を探究することも、 やはり同じである。 その意味で生きるということは、 いかなる些細な面においても何かを奪うことだ。 世の中には実験動物を用いる学術研究を頭ごなしで批判する人々もいる。 しかしそういうひとは、 生命活動が本質的に他の生命から搾取することだという事実を理解できていない。 これはベジタリアンだろうが質素な生活を送る聖人君子だろうが変わらないのだ。
もちろんその一方で、この世界が自然にあふれ、 多様な生物によって満たされているということも、 やはりわれわれが豊かな生活をするのに重要な要素だ。 そんな損得勘定のようなことをいわずとも、 たくさんのかわいらしいサルたちをみればそれだけで嬉しい気持ちになる。 だからわれわれは、生きるために奪いながら、 同時に奪いすぎないようにしていかなければならない。 そのためには、守るべき対象をまず知る必要がある。 筆者がこの解説文を書いたのは、 じつのところごく単純にサルが好きだからだ。 しかしサルの系統分類というのはなかなかに複雑で、 漫然と図鑑などを眺めていてもなかなか覚えられない。 またそれぞれの種を深く知るためには、 それが住む生息環境や歩んできた進化の道すじを体系的に理解する必要がある。 そのような知識を自分のなかで整理するため、 あくまで私的なメモとして、筆者はこの原稿を書きはじめた。 そして原稿を書くためサルたちについて調べれば調べるほど、 その多様な生態にいままで以上に魅せられた。 霊長類は、それぞれの種が独自の戦略でさまざまな生態学的地位に適応した、 類まれなる多様性を有した生物群だ。 本稿を通じて、その魅力を少しでも伝えられたなら、筆者として幸いである。